**みやび通信第11号(通刊第47号) 2003 (平成15) 年9月1日 発行:KAZU**
第 11 号
オークランド大停電
Stopped the Power Supply
今年の夏はニューヨークにロンドンと世界の大都市で停電が発生、電力の供給が止まると現代の都市がどうなるか、という見本のような停電でした。
1998年2月にニュージーランドオークランドでも大停電が起きました。日本の新聞にも報じられました。後から見ましたが余りに小さな記事。ニューヨークの大停電の記事とは大違いです。オークランドの停電は実質3日続きました。それでも大きな記事にならなかったのは停電した地区が市街地に限られ、歩いて出ることのできる小さなCityであり、人口が少ないことによります。
今にしてみれば、写真を撮っておくべきだったと思うのですが、当時はそれどころではありませんでした。それは突然やって来た

普段のQueen Street
確かに1997年末から98年にかけてのオークランドは暑かったです。ショッピングモールと銀行を除けばクーラーがかかっているところは稀な土地柄。前年はクーラーが欲しいと思ったのはほんの3日くらいだったように思いますが、その夏はクーラーが欲しいなと思う日が続きました。数字の上でも数十年ぶりの猛暑だったということです。
停電は2月末いきなり来ました。それまで二度程昼間に10〜30分停電することがありましたが、その日は全く復旧しませんでした。原因はオークランドに電力を供給するマーキュリーエナジーが1950年代に埋設した3本の主ケーブルが老朽化していたところへ、この暑さでオーバーロード、さらに熱による地面の変化で3本ともダウンしたということでした。マーキュリーエナジーは仮のケーブルによる復旧と主ケーブルの新設にとりかかりましたが…。
ニューマーケットへの脱出
街のオフィスビル、商店の電灯が消え、エレベーターは動かない、銀行のオンライもストップ、信号は消えたまま。信号はラッシュアワーには警官が出て手信号でさばきましたが、手信号ができる警官の数に限りがあり、昼間はドライバーと歩行者の判断で通行、日本では考えられない状態。人も車も少ないから事故も起こらず済みました。一般の会社ではコンューターが使えないため、端末を持ってシティを脱出、多くの会社が近くのニューマーケット地区へ仮移転しました。ニューマーケットは停電騒ぎで商店、飲食店は大賑わいとなりました。
不運な旅行者は右往左往でした。ホテルの設備もロクに使えない、食事ができない、お金が出せない。居住者ならバスでほんの5分、10分でパーネル、ニューマーケット、マウントイーデン等でお金も出せるし、食事もできることがわかっていますが、初めての土地ではそうはいきません。真に生活に困ったのはシティに居住する人達です。シャワーが使えないし、冷蔵庫は止まったまま。ガスが普及していないので調理はもっぱら電気というニュージーランドではお湯さえわかせない。
遅々として進まない復旧作業
3日程断続的な停電のある不安定な日が続き、4日目位からだいたい決まった時間帯に電気が止まったり、ついたりするようになりました。マーキュリーエナジーは「〜の地区は午前、〜の地区は午後」という様に工事によって供給が断たれる地区と時間帯を発表しました。ところがこれが結構いい加減で、午後といっても午前11時くらいから切れ、回復するのが4時だったり、10時だったり。問い合わせても、多くのオフィスがセキュリティシステムを使っており、電気が切れるとシステムがストップするので防犯の関係で正確な時間帯を教えてくれない。これは想像ですが、工事にはバイパスを作らずいきなり本線を切って工事をしているようでした。それでいて、最初の週の土日は停電がありませんでした。日本人の間では「土日は完全休業のニュージーでは土日は工事もお休みなのだろう」ということになっていました。徹夜でも復旧工事を続けるであろう日本じゃ考えられない。さすがに翌週、ニュージーランド第一の都市の経済活動停止による損失は大きく、政府ものりだし工事のピッチは上がったようでした。しかし、詳しい説明もなくマーキュリーエナジーのマネージャーの「We are sorry.」の一言で済まされた感があります。真の意味での復旧は6ケ月を要するという発表がありました。実際あちこちを掘り返す作業が6月位まで見られました。
約3週間で落ち着きを取り戻し、その後は1〜2分の小さな停電はありましたが、一応回復しました。この間、小さな店は倒産したり、移転したり。大きな店では大型の発電機を設置して営業を開始しましたが、発電機の騒音が街中に響き騒がしい街となりました。日本食レストランではなま物を扱う関係で冷蔵庫が動かなければ営業は難しい状態。照明くらいなら発電機でまかなえるとしても。驚いたのは夏場でもあり、冷蔵庫が止まっているので食品衛生上の監視に保健所の職員が飲食店を回っていたこと。この方面ではかなりチェックが厳しい国です。被害は広範囲に及んだようでした。その後の補償問題で保険会社、マーキュリーエナジー、被害者の間でかなりもめていたようです。
エネルギー供給はかつては全て国営事業でしたが、今では全てが民営化されています。マーキュリーエナジーでは使用者が電力料を支払う形で出資して利益の一部を配当として還元していましたが、1998年度はこの配当はありませんでした。
とにかく暑くて大変な夏でした。