**みやび通信第33号(通刊第69号) 2006 (平成18) 年8月18日 発行:KAZU**

第 33 号

萩  城





萩城址


 旅行で萩を訪れた折りに短い時間ですが萩城をたずねてきました。萩城は毛利輝元の手により1608年に築城され、以後260年間萩藩主の居城として使用されたということですが、幕末に山口に藩府が移され、明治6年に払い下げ命令が下され、翌年天守閣および矢倉が解体されました。現在は石垣を残すのみとなっています。
 非常に広大で山上には詰丸を持ち多くの矢倉により固められているそうですが、時間の関係で武家屋敷のある三の丸に近いところだけしか見ることができませんでした。



 本丸門跡が史跡への入口料金所となっています。萩の町は貸し自転車で観光できるようになっており、この萩城址も料金所をくぐって自転車で中を走ることができます。寺院跡や神社がたくさんあり、庭園も残されています。矢倉の数は大変多くて、内側から見えないものもあります。全てを見て回るにはかなり時間がかかりそうです。全て解体されているため石垣でその姿をしのぶほかありません。


天守台



 本丸門に向かって左手、内堀の向こうに見えます。ぐるりとまわって岡崎矢倉の方からの姿が、堀の水に写って大変きれいでした。


岡崎矢倉



 余り人が通らないのでしょうか、大変丈の高い草に覆われた道に、これまた草木に覆われるように立っていました。


八間矢倉



 指月公園の入口のところにあり、石垣と続いているので標識がなければ見落とすところでした。


塩矢倉



 三の丸から萩城に向かう途中、南門跡の手前にある矢倉。


時打矢倉



 指月小橋を渡って東門に向かい左手にあるのが時打矢倉。今回見た矢倉跡の中では一番大きな造りをしていました。


東矢倉



 東門をはさんで時打矢倉と反対側にあるのが東矢倉。


 史跡として整備されており標識も多いので迷うことなく見ることができるお城です。全体を示す案内図が料金所をくぐって最初の突き当たりにありますが、これが印刷物であれば万全なのですが。志都岐山神社あたりまでは地図では遠いようですがそれほどの距離ではありません。矢倉を全部見て、山上の詰丸まで訪ねようとすると半日はかかりそうです。残念ながら詰丸までの道は急な山道で自転車では上がることはできません。尚、やぐらは「櫓」の字を使ってきましたが、今回は萩城址での表記「矢倉」に従いました。